"面白がったり、笑い飛ばしたり、何かをたくらむ余裕を持ったり、
大いにしゃべったり、あちこち出かけたり、
エッチであることとか、同時に知に飢えたりだとか、
人に興味を持つだとか、大いに酒を飲んだりとか、
そういったことすべては体力の問題だ。
体力とは、体のどこかに貯めておけるようなものではなく、
自ら日々補給しなければ出せないものだ。
心のどこかで自分に嘘をついている人には体力は貯まらない。
本気で嬉しがったり、感動したり、面白いものに触れたりする、
そうやって得られたものだけが、楽しむためのパワーとなっていく。
それが「享楽的」ということだと思う。
野蛮でないと教養が出せないのと同様に、
知性がないと色気が出ないのと同様に、
享楽的であるにはパワーが要るものなのだ。"
—
KHAKI DAYS : 森永博志「享楽をあきらめない」
2010-02-24
2010-10-01
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"生き続ける理由の大半は、もしかしたら将来もっと面白いことがあるかもしれない、という淡い期待にすぎない"
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「人生の教訓」(作者不明)
私の人生でまなんだこと・・・
6歳のとき
「きよしこの夜」を歌いながらいつも泣くから
わたしはその先生が好きなんだとわかった
7歳のとき
飼ってる犬もわたしと同じでブロッコリーが嫌いなんだとわかった
9歳のとき
田舎の人は 手を振ると
仕事の手を止めても 手を振り返してくれるんだとわかった
12歳のとき
お部屋を便利なように整えると
ママはもう一度片付けろと言うことがわかった
14歳のとき
元気になりたいと思ったら
誰かを元気付ければいいとわかった
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15歳のとき
認めるのは嫌なんだけど
パパとママが厳しいのはいいことなんだとわかった
24歳のとき
アドバイスの言葉よりも
何も言わずにそばにいてくれる友達の方が
心を癒してくれるとわかった
26歳のとき
わが子の髪をとかしてあげることは
ほんとうに幸せなことなんだとわかった
29歳のとき
わたしが行くところにはいつも
この世で一番運転の下手な人がついてくるんだとわかった
39歳のとき
誰かがわたしの悪口を言ったら
自分は 誰もそれを信じないような
生き方をすればいいんだとわかった
42歳のとき
本当は自分をとても大切に思ってくれているんだけど
その示し方がわからないだけという人がいることを知った
44歳のとき
ちょっとした手紙を送るだけで
誰かの一日をいい一日にできるんだとわかった
46歳のとき
自己嫌悪の強い人は
他の人を責める気持ちも強いとわかった
47歳のとき
おじいちゃんおばあちゃんと孫たちは
自然とチームを組むものなんだとわかった
48歳のとき
今日 何があろうと どんな悪いことが起ころうと
人生は続いていくし 明日はいいことがあるんだとわかった
49歳のとき
聖歌の「アメイジング・グレイス」を歌うと
とても元気になることがわかった
50歳のとき
ホテルのベッドのマットレスは
電話の傍じゃない方が寝心地がいいとわかった
52歳のとき
この3つのことをどう処理するかで
男の人はだいたいわかると知った
雨の日
なくし物
こんがらがったクリスマスツリーのライト
52歳のとき
自分で野菜畑を作るのは
いっぱい詰まった薬箱と同じ価値があるとわかった
55歳のとき
親とどういう関係にあろうが
親が死んだら本当に悲しいものだということがわかった
58歳のとき
「生きること」と「暮らしていくこと」は
違うんだとわかった
61歳のとき
子供に良くしてやろうと思ったら
まず自分の夫婦関係を良くしなければいけないとわかった
62歳のとき
人生には二度目のチャンスが与えられているとわかった
64歳のとき
両手にキャッチャーミットを持ってたらいけない、
何かを投げ返せるようにならなくてはいけないとわかった
65歳のとき
幸せそのものを追い求めればそれは逃げていくけど
家族と、他の人の必要と、新しい出会いと、
ベストを尽くすことを心がければ
幸せが自分を見つけてくれるんだとわかった
66歳のとき
優しい心で何かをする時
それはたいてい正しいことだとわかった
72歳のとき
誰にでも祈ることが必要だとわかった
75歳のとき
奇跡を信じる者は報われるとわかった
実は わたしもいくつか奇跡を目撃したので
82歳のとき
苦しみがあっても
誰かの苦しみの種になる必要はないとわかった
85歳のとき
毎日誰かと触れ合うことが必要だとわかった
握手でも、抱擁でも、軽く背中をなでてやることでもいい
人は人のぬくもりが必要なのだと
92歳のとき
まだまだ学ぶべきことがたくさんあるということがわかった
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"私はきれいごとが大嫌いです。したがってきれいごとをよく口にする人間も大
嫌いです。
きれいごとは立派な嘘です。普通の嘘よりも酷いのです。普通の嘘なら見破る
とすぐ反論できますし、騙されないように自分から逃げることもできます。し
かし、きれいごとは国家、天下、倫理、道徳などの立派な隠れ蓑の下で人の意
志をレイプする行為です。
嘘が泥棒であれば、きれいごとは強盗なのです。
私はなぜここまできれいごとを嫌うかというと、中国の文化大革命を経験した
からです。数億人が十年間にもわたってきれいごとを言い合い、人間としての
あらゆる不道徳を革命や毛沢東思想で包み込み、他人を害し、社会を害し、最
後は自分も害しました。その壮大なきれいごと社会が人間社会にもたらした壮
大な悲劇を体験したからです。
その反省からトウ小平が「事実求是」と訴え、「文革」の定説と偽善を打破し
たからこそ、私のような迫害を受けてきた人間も政府派遣の公費留学生にもな
り、皆さんの国に来てこうして日本語で皆さんと議論できるようになりました。
幸い、日本は文化大革命がありませんでした。だから日本は高度成長を成し遂
げ、世界の優等生となりアジアの奇跡と言われました。
しかし、その日本はなぜか90年代初頭から急に成長が止まり、奇跡のように20
年間にもわたってその成長を止めたのでしょうか。
いろいろな人がいろいろな角度から解説を試みているのですが、私は日本社会
が本音を言わず、きれいごとばかりにはまったのが重要な原因だと思うのです。
きれいごとを言うから本質を見失い、本質が見えなければ戦略もビジョンもあ
りえないのです。
我々の身の回りを観察してみましょう。社内会議なのに「……すべきなのでは
ないか」という人がいませんか。裁判官のように偉そうに言っていませんか。
「主語を入れて主観を入れろよ」と思いませんか。
テレビや新聞によく出る評論家を観察しましょう。昨日も一昨日もA新聞から
もBテレビからも聞いたような無難なきれいごとを言っていませんか。立派で
誰にも非難されませんが、その分つまらなくて心に残りません。
きれいごとになれた社会には評論家が大量発生します。きれいごとが武器とな
り、他人を攻撃する時も自分を防衛する時にもこれを使うのです。苦労せずき
れいごとを言っているうちに自分が偉くなる気分になり、世の中のマイナス面
は全部ほかの誰かのせいで、自分だけが正しい気分になります。実際に税金を
払う人がどんどん少なくなり、実体経済がどんどん悪くなるのです。
なぜ国債は2000兆円近くも累積されてきたのだろうか。理由はきわめて簡単で
す。払った税金より使った税金がはるかに多い人がたくさん居るからです。そ
んな人が多いほど国家が成長しなくなり、ビジョンも立てられなくなります。
そのくせに国がしっかりしないから政治家がビジョンを持たないから、我々が
頑張れない、元気がないという人々がいます。これはもう最大、最悪なきれい
ごとです。
仮に国にビジョンがなくても、それがあなたの頑張れないことと何の関係があ
るでしょうか。国のビジョンの下で頑張るのはそれこそ中国の文化大革命であ
り、日本の軍国主義ではありませんか。
きれいごとをやめないと本質が見えてきません。きれいごとをやめないと個人
が自立できません。きれいごとをやめないと日本は元気を取り戻せません。
「きれいごと」を言い合っても世の中は何一つ変わりません。
平成23年1月
宋 文洲"
— (via kml)
(m-72から)
"
Love is the longing for the half of ourselves we have lost.
愛とは失ってしまった自分自身の片割れに思いを募らせることなのだ。
― ミラン・クンデラ
"
—
Milan Kundera (via kari-shma)
Or we’ve never had.
(via clairefisher)
2010-11-22
(via
gkojay)
(出典: kari-shma、usaginobikeから)
"人生っておかしなもんだね。誰かとすごく親しくなったかと思うとなんの理由もないのにだんだん離れていったりするみたい スヌーピー"
— スヌーピーbot (via natsumix723) (via hitorinoyoru) (via angry-passion) (via johnnychallenge) (via usaginobike) (via mekarauroko) (via johnnychallenge) (via coolsurf) (via bigyawn) (via tsunatapo) (via usaginobike)
"現実には、私たちは意味もなく不幸になり、目的もなく虐待され、何の教化的意図もなく罰せられ、冗談のように殺される。天変地異は善人だけを救い、悪人の上にだけ雷撃や火山岩を落とすわけではない。もっとも惜しむべき人が夭逝し、生きていることそのものが災厄であるような人間に例外的な健康が与えられる。そんな事例なら私たちは飽きるほど見てきた。"
— 内田樹「邪悪なものの鎮め方」